かねふと文庫 気仙沼市舘山
ヘンダワネ in テヘラン
サラリーマン時代の木曽永介は、1976年から2年間、中東のテヘランで駐在員をしておりました。その当時の彼の年齢は23歳から25歳。彼の小説に、中東に絡むシーンが多数登場する訳はこんな経歴があるからです。ビデオは、当時の同僚の一人が8㎜カメラで撮影したフィルムを動画へ変換したものです。海外においてもどこかのんびりした古き良き時代、読者の皆様にも映像を見ながら楽しんでいただければ幸いです。(背景写真はペルセポリス)
河原でBBQ
1976年当時のイランはパーレビ国王の統治下でした。アメリカとの関係も良く、外国人であるわたし達には、比較的暮らしやすかったように思えます。回教徒の国ではありますが、酒はどこでも手に入り、豚肉を売る店も1件だけありました。木曜日と金曜日が休日だったので、休日には車で遠くへ出かけることは良くありました。テヘランからカスピ海へ向かう山道の途中に川があって、河原ではBBQを楽しめました。このビデオでご視聴の皆様に当時のテヘラン駐在員の休日の楽しみ方を感じて頂ければ幸いです。
峠のチャイハネ(茶屋)にて
チャイハネとは茶屋のこと。テヘラン市内にもこのチャイハネは下町を中心に多数見られ、老人が日長、水たばこを吹かしている姿が見られました。さて表記の動画はカスピ海からテヘランを戻る際に、途中の峠の茶屋で休んだ時のビデオです。
カスピ海で夏休み
テヘランの駐在事務所が駐在員のためにカスピ海沿岸の街に夏の家を借りてくれたお陰で、カスピ海での夏を楽しめました。カスピ海はとても遠浅の浜辺だったので、泳ぐためには大分沖まで出なければなりません。ただし、カスピ海にはチョウザメが棲んでいるので、怖くて沖へ出て泳ぐことはありませんでした。
2家族と当時のわたしを含めた独身者4名の夏休みだったと記憶しています。
冬のテヘラン市内
テヘランは1500mの高地にあって、夏は暑いものの冬になるとまとまった雪が降ります。動画は冬に撮ったもの。だからテヘランの冬が日本とそう変わらないことが分かります。写真に写っているイラン人はわたしの同僚、アリ・マフロージャンです。こうやってみると彼も中々のハンサム男。あの当時は独身でしたが、良い嫁さんをもらったかな。