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かねふと文庫 気仙沼市舘山

八神空蝉記
気仙沼市在住の木曽永介が描く世界、歴史に奔走されながらも力強く生きる男女、木曽永介が書いた最初のシリーズ
佐治馬物語 (2010)
木曽永介のデビュー作品、戦前から戦後にかけての佐治馬の活躍を描く長編
定価1200円(税込み)送料200円別
昭和19年に田川佐治馬は、学童疎開していた杉野真子と宮城県の登米町にある大槻家に一緒に逗留していた。
国民学校に通う二人は幼馴染の関係で、佐治馬は十三歳、真子は十二歳だった。
佐治馬は幼い時に両親と死別しており、叔父に当たる大槻文彦とその妻タツに育てられていた。
昭和19年11月に佐治馬の祖母ツヤが大槻家を訪れた。
ツヤは佐治馬と真子を座敷に呼び、佐治馬の元服と真子との許婚の約束を宣言した。
二人の結婚は佐治馬が大学を卒業した時とツヤは定めた。
それまで佐治馬は喬と呼ばれていたが、元服して田川家の当主の名前である「佐治馬」を名乗ることになった。
佐治馬は昭和20年の春、仙台にある青葉第一中学へ進学した。
仙台での勉学が始まったさなか、昭和20年7月10日に、佐治馬は米軍による仙台大空襲を経験している。
終戦後の佐治馬は生きるための食糧買い出しに忙しく、登米町と仙台の間をヤミ米や野菜を運ぶ日々だった。
しかし世の中が落ち着きだした昭和23年に、買い出しは佐治馬に代わって登米町の女学校に通っていた真子が、休日を利用して仙台へ食糧を運ぶようになっていた。
しかし昭和24年に真子が女学校を卒業すると実家のある東京へ戻り、佐治馬とは涙の別れとなった。
