かねふと文庫 気仙沼市舘山
大切な人に捧げる
ツヤの思い出
佐治馬物語の序文より
優しくて厳しかった祖母、故安原ツヤに私の作品を捧げます。
宮城県気仙沼市の内湾に面した魚屋(カネフト唐桑屋)で、幼少期から中学卒業まで育った私には、人に誇れる大好きな祖母がおりました。平成十三年には故安原ツヤの三十三回忌を岩手県一関市の法泉寺で、沢山の縁者が出席されて営まれ、ツヤお婆さんの思い出話で和やかなひと時を過ごすことができました。
生きている時も死んでからも、私とともにあったツヤは、苦しい時、哀しい時、いつでも私を励ましてくださった気がします。
そんなツヤは、とても気丈な人でしたが、たった一度だけ、ツヤが私に甘えたことがあります。それは昭和四十四年のあの暑かった夏の出来事です。ある日、足を骨折して入院していたツヤをまだ学生だった私が一人で見舞い行った時、ツヤはかなり衰弱した状態でした。私がツヤの腫(は)れて浮腫(むく)んだ足をさすっていると、ツヤは私の手を取ってベッドと腰の間に、その手を入れて欲しいと頼みました。
他人には些細な頼み事と思われるかもしれませんが、今までそのような些細なことでも私には決して甘えることがなかった祖母が、初めて頼んだことなので、私はまさかと思い、とてもびっくりしてしまいました。きっと床ずれが痛くて、どうしようもなかったのでしょう。明治五年に生まれ、大正、昭和の激動期を生きてきたツヤの最初で最後の私に対する頼みごとでした。小さいお婆さん、病気なのだからもっと甘えていいのにと、そのとき思ったものです。
そんな安原ツヤは、昭和四十四年八月十三日(享年九十四)に天命を全うしました。
本作品にもツヤが登場します。私なりに本物のツヤがどのような人物だったかを、架空の登場人物、田川ツヤで表現したつもりです。
ついでにお断りするならば、本作品は私が初めて世間に発表したデビュー作です。拙い文章とおしかりを受けることを覚悟で世間にさらした作品です。しかしながら欲を申せば、作品の主人公である田川佐治馬を通じて、昭和初期の戦争の暗い影、そして戦後の生き生きとした時代の雰囲気、特に作品の舞台となる宮城県、岩手県南部において、佐治馬と係わり合う人々の晴々とした生活の息吹を感じていただければ幸いです。
木曽永介